カギ社会

megumimaginery2006-01-21

私の持つ鍵の束。入口の鍵2つ、自室への鍵、机の鍵、大学のロッカーの鍵などである。


自室の鍵は合鍵が作れないようになっていて、扉を閉めると鍵がかかるシステムになっているので、うっかり鍵を部屋において外に出てしまい、部屋に入れず、かといって外にも出られなくなるトラブルをしょっ中やっている。そうなると、隣の棟に住むマスターキーを持つ学生に頼んで鍵を開けてもらうしかない。自分で外に出られないので、誰かに頼んで電話をかけてもらうか外に出してもらうかするしかない。


古い家に住んでいてしくみが複雑であるという理由もあるが、それもこちらのセキュリティに関する考え方から成り立っているので、イギリス人学生たちはあまりこの失敗はしない。


デザイン的に、また記号論的に言って鍵というものは魅力的である。宗教画ではキリスト教のイエスの第一弟子ペテロは、その象徴として天国の鍵という大きな鍵を持って描かれている。何かを封印するもの、あるいは自分がその封印を解くことが出来る、というアイディアは創作意欲を喚起する。また、中世〜ルネッサンス時期ヨーロッパで家の鍵の束を持つことは、その家の女主人としてのアイデンティティなのだ、ということをニュールンベルクのデューラーの家で耳にした。


しかし私にとっての鍵は、重苦しい責任であり、それでいて何度も忘れてしまうものである。そのトラブルはたいてい土曜日の朝、朝寝坊の果てにトイレに立とうとしてやらかす。その週日、徹夜が続いたり、苦労の結果が水の泡になって疲れ果てた時に決まってやってしまうのだ。