プラハの地下鉄 - 共産主義が残したもの

megumimaginery2006-01-09

プラハは観光地をちょっとはずれると、共産主義時代の名残りがあちこちに見られる。いや、旧市街のど真中でも例の赤旗が見られる。市民は朝が早くて、正月2日の7時頃には初出勤に向かう人が多く行き交っていた。


プラハの春」を踏みにじったソ連の軍事介入は1968年のことだったが、同時期にここにソ連は地下鉄を作ってもいる。共産党の威信をデモンストレーションするという意図において行なわれたが、「平等」の理念のもと、バリアフリーで建設された。ホーム内装デザインは、どの駅も壁にメタリックパネルが貼られ、車両も比較的綺麗である。彼らは街のど真中に高速道路も建設してしまったが、こちらに比べると地下鉄事業ははるかにエレガントなふるまいである。


旧市街の南の端にベツレヘム教会という教会がある。宗教改革の初期に異端扱いされて焚刑に処せられたヤン・フスが説教を行なった教会である。フスの焚刑以後の一連のプロテスタント抵抗運動が鎮圧されたのち、ここはカトリック強化のために派遺されたイエズス会が永らく使用し、そののち教会の機能を失っていたものを1950年代に共産党が再建したそうである。どういう意図があったのかは図りかねるが、なかなか良いことをしてくれたものである。厳しい断圧の結果、現在プラハにはフス派及びプロテスタントはごく少数に留まっている。