プラハ - アメリカとの関係

megumimaginery2006-01-08

プラハでまず驚いたことは英語がよく通じることだった。それはすぐに察しがついた。街はアメリカ人で溢れ返っていたからである。


ヨーロッパの有名観光地に行くとアメリカ人の多さにびっくりする。彼らは気さくで素直にヨーロッパを楽しんでいる。現地の人には苦々しいものがあるのかもしれないが、私は同じ旅人のよしみで気軽に話かけてくれるアメリカ人が嫌いではない。中には未だに連絡を取り合っているひともいる。


若いアメリカ人はおおむねヨーロッパの重厚さに素朴に感動しているようだが、中年以上の旅行者には祖先の地を訪ねて来たという人もいる。「僕らにはわずか200年の歴史しか無いのだよ」というアメリカ人は多いが、翻って言えば、それ以前は皆ヨーロッパその他の出身地の血を引いているということだ。


チェコ出身でアメリカで成功した人としては、「新世界」のドヴォルザークとか、多くの映画のポスターと手掛けたアールヌーヴォーの雄、アルフォンス・ミュシャなどがいる。彼らはアメリカ文化の黎明期に活躍し、その作品はむしろ典型的に「アメリカ的」である。二人とも故郷に錦を飾り、その墓はプラハの有名人墓地にある。


旧市街の土産物屋ではアメリカのヒット曲が流され、アメリカンスタイルのショッピングセンターやファーストフードは地元の人々で溢れている。一見アメリカに侵食されているように見えるが、実はそういうものを作り出したのはチェコ人始め全ての「非アメリカ的」なるものたちなのである。