プラハ - カフカの墓

megumimaginery2006-01-05

12月29日から1月4日までプラハに行った。日中の平均気温は氷点下であり、非常に寒かったが、観光客でごった返していた。同宿の人でプラハで生まれ育って多分イスラエルに移住したという男性がカフカの墓の場所を教えてくれた。観光地としてあまりに名高いユダヤ人墓地が1880年代に閉鎖されてから郊外に新設されたユダヤ人墓地にあるという。地下鉄で終点の2つ手前の駅Zelivskeho下車すぐにある。元旦に出掛けたのだが、事務所は空いていた。彼らの休日は土曜日である。

カフカとその両親の墓石は何だか日本の墓石に似ている。件のユダヤ人によると墓の前に石を積む習慣があるようで、彼も今回の里帰りに際し、カフカの墓に詣でて石を置いてきたのだと言っていた。確かに墓の前には幾つか小石が置いてあった。

事務所にいた伯父さんは、まさに典型的なユダヤ人、秀でた額にやや離れた碧眼、金髪でしかも英語がペラペラであった。カフカを訪ねて来る人以外に、祖先の墓を訪ねる多くのアメリカ人が居るのではないか、などと推測してみる。この国ではユダヤ人もチェコ人も数多くの迫害と困難からアメリカに新天地を求めて行った人が多いのではないか。アメリカはそうした人達で作られた国だ。今世界はアメリカに支配され、全てがアメリカ化する危険にさらされているが、その根っこにあるものはこのチェコのような国々なのである。

そんな風に考えてみると、ドヴォルザークの「新世界」とか、スメタナの「モルダウ」とか、ノスタルジーを越えた、もっと強くてポジティヴなものに聴こえてくる。