オーストリア-2 トラブル続出

megumimaginery2005-04-06

怒りの品評会
先日のパソコン盗難依頼、鬱状態に陥っている。忙しかったこと、新学期になってから人間関係でもめていたことが重なって、その頂点が盗難で、それっきりがっくり来ているのだ。そもそも、最近盗難が多発していたのに、イギリス人ハウスメイト達とコミュニケーションが取れていなかったために、戸締りを怠ったのが原因だ。話しかけても、話しかけても、彼らは仲間には入れてくれない。自分を責め、あくまでも自分を無視し続けるイギリス人共を呪った。今回の旅行はそれを晴らすのだ。ドイツ人、オーストリア人なら案外気が合うかもしれない。が、これはあっけなく打ち砕かれるのだが。


日記-被害妄想のオンパレード
3月26日。シェーンブルンとベルデヴェーレ。小鳥の声で目が覚める。いや、この旅行を通じて、いつも小鳥がさえずっていたような気がする。順潮なすべり出し。が、早速シェーンブルンの駅を乗り越す。切符売場では、皆並ばず我先に押し掛ける。ここで、あれっと思うのだ。イギリス人のように大人しく並んだり、扉を押さえて待ったりはしないのだ。はっきり言おう。それは殆どイタリア人だ。各種割引のあるウィーンカードと学生証を提示して安い方のチケットを、と求めるも、ガイドブックより高い金額を言われる。そこでおとなしく引き下がったものの、ズルされた、という疑念が払拭出切ない。そもそも、私の前に日本人の男の子が居たのが嫌だったので、切符売り場のおじさんにちゃんと確認しないでそそくさと出て来のが悪かったのだ(ここまで来ると、もう妄想だ)。チケットをチェックするおねえさんにねじ込んで、ガイドブックが古くて入場料が値上がりしていたのだということがわかった。恥ずかしかったが、心はほっとした。旅行に来ているんだ。自分が我慢する必要はない。それにしても、まだ9時前だというのにものすごい人だ。ガイドツアーがいくつも出ている。彼らに押し潰されないようにろくに見学しないで小走りに進んだり、椅子に腰掛けて待っていても、次々にあたらしい集団が押し寄せる。他人に振り回されているだけじゃないか、ますますイライラが募る。だが、マリアテレジア好みのロココ調の内装は美しい。うすいブルーの壁紙に白く塗装された縁や窓枠が新鮮だ。イギリスよりは明らかに洗煉されている。作品のモチーフにしよう。イタリア人のオヤジが自分の奥さんに話かけるために私を突き飛ばす。トイレではイタリアのマダムが友達の側に行くのに私を押しのける。売店では売り子がお釣りを間違える。これはオーストリア人(だろう)。このあと、店員の不手際に何回も遭遇する羽目になるのだ。シェーンブルンから帰途につこうとしていると、カメラを見せて近寄ってくる若者が居る。イタリア人の子供たちだ。シャッターを押して欲しいのかと思って応じようとすると、いや、一緒に写って欲しいという。『何故だ』と聞くも『いいからいいから』といういので、不可解ながら作り笑いをこしらえる。と、シャッターを押すと見せかけて、全員が飛び退いた。たばかられた。血が引く。と同時に怒りがこみあげて来る。つかつかとガキ共の所へ歩み寄り、怒鳴りつける。『お前達に何か悪いことをしたか、何でそんなことをするのだ』と15分位は騒ぎ立てた。馬鹿にするイタリアのガキ共。視界の端に日本人の集団が入る。くそう、アイツラ、無視しやがって。馬鹿な東洋女を演じているのは薄々気付いている。あの、日本人観光客共は馬鹿な女を見たって友達に土産話するんだろうなあ。くやしいなあ。そして立ち去る背中に馬鹿にして囃し立てる声。今でも怒りに身体が震える。辛くて悔しくてもう書くことが出来ない。鬱悪化。

今日は怒ったことばかりあえて書いたが、次回は芸術的な意義についてまとめて書きます。結局、怒りはトラブルしか呼び込みません。でも、今でもノッツで怒りの発作に苦しんでいます。中途半端に抗鬱剤を止めたのがいけなかったのかもしれない。いや、腹を立てないでいられる方法って無いものか。

シェーンブルンは豪華でかつ優雅な宮殿だが、フランツヨーゼフの執務室と死の床となったベッド、そしてナポレオンとの政略結婚によって生まれ、21歳で夭折したナポレオン2世(フランソワ・シャルル・ジョゼフ・ボナパルト)の部屋に心打たれた。前者は修道院かと見まごう質素な内装、後者はナポレオン失脚後の病弱で孤独な王子を偲ばせる部屋。彼を庭師として描いた肖像と孤独な彼のペットであった小鳥の剥製の入った鳥篭が胸をえぐる。でも、こんなことにおセンチになっているとたばかられるのだから、大観光地は嫌なものだ。