オーストリア旅行-1

megumimaginery2005-04-05

3月25日から4月3日までオーストリアに行って来ました。久々の非英語圏一人旅、今日は旅の疲れが出て鬱状態だが、客観的に見れば実り多い旅行ではあったと思う。現時点でオーストリアという国に対する私の受けた印象を総括すると、

  1. 結構行儀が悪い-地下鉄やバスの乗り口では降りる人を優先したり、後から来る人のためにドアをおさえてあげるとか、全然しない。列車のコンパートメント等に入って来る時に挨拶しない。-これにはイギリスのマナーが良いということを再認識させられた。田舎では丁寧な人も結構いたが。或いは、差別されていたのかもしれない。
  2. ドイツ語が(ドイツとは)違う-sの発音が濁らない。ザルツブルクは『サ』ルツブルク、ザンクトフローリアンは『サ』ンクトフローリアン。多分、他にも色々違いがあるのだろう。
  3. (イギリスと比べて)日本と似ているところがある。-温泉がある、山岳風景は長野県みたい、歩行者用信号、カフェでコーヒー類を頼むとお冷やがついてくる、楊枝が置いてある等。
  4. (イギリスと比べて)物価が少しだけ安い。ユーロだからか。食べ物もイギリスに比べたら安くて美味しい。そしてワインが安くて美味しかった。
  5. 何故か、『水』にまつわる庭園が多かった。時代的な流行か、内陸にあるお国柄か?

旅程は、以下のとおり。

  • 3月25日 ヒースロー→ウィーン、ヒュッテルドルフYH泊
  • 3月26日 ウィーン、シェーンブルン宮殿、ベルデヴェーレ宮殿(近代美術館) 同上泊
  • 3月27日 ウィーン、フンデルトヴァッサーハウス、クンストハウス→トゥルン、エゴンシーレ美術館、ウィーン、レオポルド美術館、ウィルヘルミネンベルク古城YH泊
  • 3月28日 ウィーン→バート イシュル、季節外れの温泉地で何も出来ずに呆然。トルコ人にナンパされる。バート イシュルYH泊
  • 3月29日 バート イシュル→リンツ、 サンクトフローリアン(ブルッークナーの墓)、リンツのYH泊
  • 3月30日 リンツ→サルツブルク、モーツァルトの生家、大聖堂、ホーエンサルツブルク城(城観光&コンサート)。サルツブルクYH泊
  • 3月31日 サルツブルク。ヘルブルン宮殿、アニフ(カラヤンの墓)、祝祭劇場(コンサート)。同上泊
  • 4月1日 サルツブルク→インスブルック。ハーフェレカー登山。インスブルックYH泊
  • 4月2日 インスブルック→ウィーン。アンデアウィーン劇場(ミュージカル エリザベート)
  • 4月3日 ウィーン→ロンドン。(おまけ-テムズ川クルーズ、グリニッジ→ウィストミンスター、映画Tropical Malady)

日記
4月25日。ロンドン-ウィーン。ノッツからヒースローまではバス。この便、かつて渋滞で1時間以上遅れたことがあるので、緊張していたが、何のことはない、所要時間が1時間以上長く設定されていたのだった。さてポンドからユーロに両替をしようとしたが、HSBC銀行のカードの引き出し限度額が200ポンド、約4万円。これで足りるか不安(これは後に解決するが)。ユーロに替えて200なにがし。オーストリアエアラインでは短距離フライトでは食事は有料。その分安いのでまあ良いか。ウィーン19:45着。思ったより寒くない。空港から南駅まで高速直行鉄道CATで15分9ユーロ。そこから地下鉄U4で終点ヒュッテルドルフ下車。ユースは徒歩10分足らず。夕食を食べ損なっていたので、ヒュッテルドルフ駅のスタンドでケバブ(ドイツ語ではケバプ)、3ユーロ弱。こちらではチキンがメインのようだ。イギリス人はもともとラムが好きだったからな。パンをパニーニ用のグリル致にはさんで温めて、チキンと野菜をはさみ、マヨネーズのうすいようなソースをかける。特徴的なのは、あらびき唐辛子を振りかけること、イギリスと違って肉はその都度肉の塊まりから切り取ってくれる。あらかじめ切り取って保温されたものはやはり不味いので、一気に好感度アップ。ユースは坂の上にあり、暗かったのでよくわからなかったが、割ときれい。この付近はウィーンの外れ、ウィーンを出て国鉄の最初の駅があるところで、閑静な住宅地。ウィーンの森の始まるあたりでもある。翌朝、小鳥のさえずりで目が覚めることとなるのである。

以下後日。