若い人には気後れするが。

megumimaginery2006-10-18

今日は大学院生の新入生歓迎会だった。パーティは苦手なので壇上の挨拶やビデオ上映が終わったところでこそこそ逃げ出してきた。もともと人と居るのが苦手で、だからこそ40歳目前に日本逃亡なんか企てたわけだが、個人主義で変わり者の多いイギリスなら居心地が良いと思ったら、大間違いだった。個人主義ということは自己主張をしないといけないが、そういうところは日本的で弱いところがあるようで、あまり強く出られない。また、彼らは案外保守的で異質のものを受け入れないところがある。伝統を重んじ、アンティークを愛するということは、反面新しいものを受け入れないということになる。


そいういう点から考えると、日本は案外革新的でアヴァンギャルドだ。「右へ倣え」的な環境から突然ヨウジヤマモトとか、コムデギャルソン、村上隆などが登場する。ノッティンガムの恩師は「日本人のアイディアは頭の中から突然湧いてくる、理論的裏づけがないがアヴァンギャルドだ」と言っていた。


彼らに遠く及ばないにしろ、私にも思い当たるフシはある。「理論武装」という言葉があるように、理論は人を守る鎧になる。パーティで人の波を鮮やかに泳いでゆくには、「私はこういう人物である」という理論の鎧を作って感受性を守らないといけないが、どうも私にはそれが出来ないのだ。感受性のアンテナを張り巡らしていないと、周囲との距離感が取れないし、またそれこそ保守的だと思う。こちらの人は変人も含めて自分をカテゴライズ、すなわち理論武装する。もしかすると中身はとても繊細で、私と同じ位弱いのかもしれない。


語学学校時代の台湾人のクラスメートに、「お前はとってもナイーブで大好きだ」と言われて、「私はアーチストだからどんなに辛くても感受性のアンテナをむき出しにするのがポリシーだ。新しいものは魂の軋轢の中から生まれるからだ」と答えたことがある。アジア人には共通で、西洋人には理解できない感覚かもしれない。また、日本の集団主義の中では一人ひとりの魂に鎧を立てずに居られるのかもしれない。